この記事はこんな人にオススメ
- 映画『アイガー北壁』について詳しく知りたい人
- 1936年 アイガー北壁遭難事故について知りたい人
- 1957年 アイガー北壁事故:ロンギ隊員2年間の宙吊りについて知りたい人
- 登山が趣味の人
- 雪山の恐ろしさを疑似体験したい人
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映画『アイガー北壁』
映画『アイガー北壁』の概要
ナチス政権下、前人未到だったアルプスの難所アイガー北壁に挑んだクライマーたちの壮絶な運命をつづる山岳ドラマ。
アルプス登攀(とうはん)史上最大の悲劇と呼ばれた実話を基に、過酷な状況で繰り広げられる男たちの闘いをスリリングに描く。キャストには『戦場のアリア』のベンノ・フユルマン、『グッバイ、レーニン!』のフロリアン・ルーカスら実力派が集結。名峰アイガーの雄大な景観と、悪天候の北壁アタックをリアルに映し出した映像は迫力満点。
出典元:シネマトゥデイ
邦題:アイガー北壁
原題:Nordwand
ジャンル:ドラマ
キャッチコピー:生きて、還る──
制作年:2008年
制作国:ドイツ、オーストラリア、スイス
上映時間:127分
監督:フィリップ・シュテルツル
キャスト:
ベンノ・フユルマン
フロリアン・ルーカス
ヨハンナ・ヴォカレク
ウルリッヒ・トゥクル
映画『アイガー北壁』のあらすじ
ベルリン五輪開幕直前の1936年夏、ナチス政権は国威発揚のためドイツ人による前人未到の難所アイガー北壁初登頂を強く望んでいた。ドイツの若き登山家トニー(ベンノ・フユルマン)とアンディ(フロリアン・ルーカス)、そしてオーストリアの2名が大いなる期待を背負って北壁に挑む。彼らは順調に登っていくが、落石によるメンバーの負傷や悪天候に見舞われ……。
映画『アイガー北壁』の評価・感想
映画『アイガー北壁』の評価
映画『アイガー北壁』の感想
どうやって撮ったんだろう、という迫力の登山シーンと、あまりに残酷で絶望しかないラスト。ラストがすごすぎて、鑑賞後、余韻というかしばらく暗澹たる気持ちになる。
けれど、そんな気持ちにさせる映画はなかなかなく、すごい作品だなと思う。引用元:filemarks
本当に人間はこんな巨大な壁を攀じ登るのか、と思うと感動とともにため息がでてくる。荒々しい映像のため、一緒に登っているかのような臨場感が得られる。あと寒さとか痛みとか・・・伝わってきます。引用元:映画.com
圧倒的なパワーで映像が迫る。 山とはかくも厳しいものなのか! 寒さが伝わってきて、こちらまで凍えそうだ。 ドイツの映画はこれほどまでリアルに映像を求める。 期待値をはるかに上回る。引用元:Yahoo!映画
アイガー北壁とは?
ユングフラウ、メンヒと並び、いわゆるオーバーラント三山の1つとされる。アイガー北壁は高さ1,800mの岩壁で、グランド・ジョラスの北壁、マッターホルン北壁とともに、困難な三大ルートの1つとして知られ、アルプスの三大北壁と呼ばれている。
映画『アイガー北壁』は実話?
本作品は、アイガー北壁の初登攀競争をめぐる実話に基づく作品です。可能な限りリアリズムを追求し、凄まじい臨場感をもった映像によって、1936年に起きたアルプス登攀史上最大の事件と呼ばれる悲劇が描かれています。
1936年 アイガー北壁遭難事故
ナチスが成功者にはベルリンオリンピックの金メダルを与えると約束。ドイツのアンドレアス・ヒンターシュトイサーとトニー・クルツ、オーストリアのエドゥアルド・ライナーとヴィリー・アンゲラーの2隊が競いながら登頂を目指し、ヒンターシュトイサーが第1雪田の下の難しい振り子トラバース(ヒンターシュトイサー・トラバース)に成功、さらに「死のビバーク」を越える位置まで登攀する。しかしアンゲラーが負傷したことから2隊は助け合いながら下山することを決定。天候の悪化からビバークを余儀なくされる。7月21日、ザイルを回収してしまったことが仇となってヒンターシュトイサー・トラバースで行き詰る。そのため北壁に開いているユングフラウ鉄道・アイガーヴァント駅の坑道からの脱出を試みて懸垂下降を繰り返したものの、クルツを除く3人が墜落などで相次いで死亡。クルツも救助隊の元にザイルで下りる際にカラビナにザイルの結び目が引っかかる悲劇に見舞われてしまう。体力を消耗し切っていたクルツは結び目を外すことが出来ずにぶら下がったまま、7月22日、「もうダメだ」の一言を残して力尽きる。
※ビバーク=登山中(テントも張れず)緊急避難的に野外で一夜を過ごすこと。野宿。
アイガー北壁での死者数
1934年から1958年までに25回の登頂が試され、13回67名が登頂に成功したが、15名の死者が出ている。アイガー北壁で死亡した登山家は2013年7月までで71人となっている。
1957年 アイガー北壁事故:ロンギ隊員2年間の宙吊り
1957年にアイガー北壁で起こった事故ほど、スイス山岳史上大きな事故はないだろう。登山者3名が死亡し、1名が救助された。
イタリアのコルティとロンギ隊がアイガー北壁に挑戦。その二日後、ドイツのノートドゥルフトとマイヤー隊が同じルートを目指した。2つの隊は途中困難にあい協力しながら登山を続けた。
二つの山岳隊は数々の困難に遭遇した。救助の派遣を申し出るが地元は派遣は難しいと拒んだ。
8月6日、ロンギ隊員が墜落。他の隊員はロンギ隊員を引き上げることができず。
ロンギ隊員はごくわずかな食料と寒さと共に山壁にへばりついている。
その直後、コルティ隊員に石が直撃。イタリア隊の2名が負傷した。
ドイツ隊は救助を求めつつアイガーを彷徨った。
8月10日、50人による国際救助隊が結成。
コルティ隊員が雪の中から掘り起こされた。頂上にある小屋へ300メートルのザイルに繋がれて運ばれた。これはアイガー北壁の遭難で初めて救助された成功例となった。
ロンギ隊員は3日2夜に渡って山壁にへばりついていた。彼の救助活動が始まったが、悪天候により一時中断してしまう。救助隊は励ますように「明日来るから」と伝えた。
ロンギは弱々しい声で「腹が減った、寒い」と答えたという。
ロンギは翌日力尽きて死んでしまった。
遺体はアイガー北壁に放置されたまま収容されるまで2年を要した。
この時点でドイツ隊の行方は全くわからない状況だった。
ドイツ隊2名の遺体は1961年9月22日に、アイガー西壁の下山ルートで見つかった。
アイガー北壁を登頂した日本人は?
1969年夏、6人の日本人登山家(加藤滝男、今井通子、天野博文、久保進、根岸知、加藤保男)が開拓したアイガー北壁の新ルート、「Japaner Direttissima(日本直登ルート)」を切り開いた。
この日本直登ルートは頂上に対してもっとも最短な直登ルートとして、その名を今に残しています。この直登ルートは2019年にアルパインツアーの創業と同じ50周年を迎えた。
なお、イッテQでイモトアヤコもアイガーを登頂しているが、北壁ではなくアイガーの東山稜であるが、十分にすごい偉業を成し遂げました。
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